世界報道写真展2017とセンチメンタルな旅 - 東京都写真美術館
自分以外の人と行動を共にする面白さのひとつは、興味を持っていなかった世界を知ることだと思います。
わたしの場合、結婚して広がった世界のひとつが写真、というか「写真展に行く」ということ。
写真って、旅行に行ったときに家族や友達と映るそれか、
もしくは「忘れないように」と映す景色(でもたいていは見返さない)。
携帯電話で写真が取れるようになってもうちょっと身近にはなったものの、
でも自分の身の回りの一瞬を写す手段のひとつであることには変わりなかった。
だから「写真展にお金を払って行く」もしくは「写真集をお金を払って買う」という行為があることに、
最初はちょっと驚いたわたしなのでした。
オットに付き合って時々写真展に行くようになって、
まぁあくまで「付き合って行く」という立ち居地からは抜け出せず、
つまりは主体的にどこそこの展示に行ってみようとはならないのだけれども、
行ってみたら毎回新しい驚きがあって、
自分の興味の対象だけに固執しないでいることの面白さを毎回感じます。
まず最初に足を運んだのが「世界報道写真展2017(2017.6.10-8.6)」。
わたしは血を見るのがなにより苦手なので内心躊躇ししたものの、報道写真=残酷な写真多し、という認識は覆されました。
いやもちろん目を背けたくなるような、眉間に思わず皺がよるような写真もあるにあったのだけれど、
残酷さというよりも、静かに事実を突きつけられたような感じ。
いまやテレビやネットからいろんな映像が流れに流れている世の中でも、あるいはそんな世の中だからか、
写真でその一瞬を切り取ることでよりいっそう印象的になることがあるのでしょう。
世界にはまだまだまだまだわたしたちの知らない出来事で溢れているのだ。
他のどこかの地域よりも日本は恵まれているかもしれないけれど、その幸運をわたしはちゃんと活かせているのだろうか。
偏見を持っていないと思っているのは自分だけで、他のどこかの誰かよりもわたしはずっと狭い了見しかもっていないかもしれない。
いろんな発見と反省を促された報道写真展でありました。
カフェにてしばし休憩したあとは、アラーキーさんこと荒木経惟さんの「センチメンタルな旅1971-2017-(2017.7.25-9.24)」
アラーキーさんといえばあなた、わたしには「ヌード写真家のメガネのおじさん」イメージしかありませんで、まぁ芸術にヌードは付きものなれど「なぜにわざわざアラーキーさん?」てな、そうですね、一言で言えば「偏見」がなかったといえばウソになりましょう。。。
でもわたし、知らなかったんです。
この「センチメンタルな旅」が彼とその奥様の短い結婚生活の足跡をあらわす展示だったなんて。
(そもそも彼が結婚していたことすら知らず・・・)
印象的な写真は多々あれど、おもわず息を飲んでしまったのが「料理の写真」。
ぜんぜん美味しそうに見えない料理写真の数々。
あの写真をみて「これ食べたい」とはたぶんきっと思わない。
でもそのころの彼の、二人の、食事に対する思いがこれ以上ないくらい生々しく表れていて、涙が出そうでした。
愛する奥様を失った直後でも尚、その奥様の写真を撮り続けたのは写真家の性なのか意地なのか、
それとも奥様への愛なのか。
「アラーキーさん、ただのヘンなおじさんじゃなかったのね。」
愛妻家=尊敬すべき人だと思っているわたしの中で、アラーキーさんの評価はうなぎのぼりとなりました。
思っていた以上に印象的だった二つの写真展。
例によって予備知識皆無で臨んだけれども、行って本当に良かった。
自分の興味を広げてくれるから、人の興味にお付き合いするって面白い。
だからオットよ、次はぜひ「深海2017」に付き合ってくださいな~。
わたしの場合、結婚して広がった世界のひとつが写真、というか「写真展に行く」ということ。
写真って、旅行に行ったときに家族や友達と映るそれか、
もしくは「忘れないように」と映す景色(でもたいていは見返さない)。
携帯電話で写真が取れるようになってもうちょっと身近にはなったものの、
でも自分の身の回りの一瞬を写す手段のひとつであることには変わりなかった。
だから「写真展にお金を払って行く」もしくは「写真集をお金を払って買う」という行為があることに、
最初はちょっと驚いたわたしなのでした。
オットに付き合って時々写真展に行くようになって、
まぁあくまで「付き合って行く」という立ち居地からは抜け出せず、
つまりは主体的にどこそこの展示に行ってみようとはならないのだけれども、
行ってみたら毎回新しい驚きがあって、
自分の興味の対象だけに固執しないでいることの面白さを毎回感じます。
まず最初に足を運んだのが「世界報道写真展2017(2017.6.10-8.6)」。
わたしは血を見るのがなにより苦手なので内心躊躇ししたものの、報道写真=残酷な写真多し、という認識は覆されました。
いやもちろん目を背けたくなるような、眉間に思わず皺がよるような写真もあるにあったのだけれど、
残酷さというよりも、静かに事実を突きつけられたような感じ。
いまやテレビやネットからいろんな映像が流れに流れている世の中でも、あるいはそんな世の中だからか、
写真でその一瞬を切り取ることでよりいっそう印象的になることがあるのでしょう。
世界にはまだまだまだまだわたしたちの知らない出来事で溢れているのだ。
他のどこかの地域よりも日本は恵まれているかもしれないけれど、その幸運をわたしはちゃんと活かせているのだろうか。
偏見を持っていないと思っているのは自分だけで、他のどこかの誰かよりもわたしはずっと狭い了見しかもっていないかもしれない。
いろんな発見と反省を促された報道写真展でありました。
カフェにてしばし休憩したあとは、アラーキーさんこと荒木経惟さんの「センチメンタルな旅1971-2017-(2017.7.25-9.24)」
アラーキーさんといえばあなた、わたしには「ヌード写真家のメガネのおじさん」イメージしかありませんで、まぁ芸術にヌードは付きものなれど「なぜにわざわざアラーキーさん?」てな、そうですね、一言で言えば「偏見」がなかったといえばウソになりましょう。。。
でもわたし、知らなかったんです。
この「センチメンタルな旅」が彼とその奥様の短い結婚生活の足跡をあらわす展示だったなんて。
(そもそも彼が結婚していたことすら知らず・・・)
印象的な写真は多々あれど、おもわず息を飲んでしまったのが「料理の写真」。
ぜんぜん美味しそうに見えない料理写真の数々。
あの写真をみて「これ食べたい」とはたぶんきっと思わない。
でもそのころの彼の、二人の、食事に対する思いがこれ以上ないくらい生々しく表れていて、涙が出そうでした。
愛する奥様を失った直後でも尚、その奥様の写真を撮り続けたのは写真家の性なのか意地なのか、
それとも奥様への愛なのか。
「アラーキーさん、ただのヘンなおじさんじゃなかったのね。」
愛妻家=尊敬すべき人だと思っているわたしの中で、アラーキーさんの評価はうなぎのぼりとなりました。
思っていた以上に印象的だった二つの写真展。
例によって予備知識皆無で臨んだけれども、行って本当に良かった。
自分の興味を広げてくれるから、人の興味にお付き合いするって面白い。
だからオットよ、次はぜひ「深海2017」に付き合ってくださいな~。
by tenkoyu2017
| 2017-08-20 00:00
| 日本